卒業制作
卒業制作審査が無事に終わった。
後は展示だけになるだろうか。最後の最後で後味の悪い展開になってしまったことは否めない。自分のポーフォリオを先生が手に取った瞬間、「こんなん写真論じられません」「内容が薄っぺらい。バッタもんと一緒です」という言葉が飛ぶ。
まぁ、たしかに卒業制作中は自分の中でも中途半端な感じになったし、なによりも写真への不信感のようなものがぬぐい去れなかったことが事実だ。
自分は何を撮って、作品としてどうまとめたかったのか。他人の作品はよく考えられてるのに自分のは浅はかだった。ということだろうか。その部分の感情表現において下手くそだったということか。
自分の中でも結局のところは、伝えたかったことが周囲の意見に振り回されて中途半端な作品になってしまったことは否めない。
飲んできた。
やっぱり、冬の日本酒はいいね。
ここで死生観について話をする。
死生観は大切だと思うが、学ぶ事はいつの年齢になっても大切だ。なぜなら学ぶ事によって他国の文化を知り、他国の人との違いを知ることができるからだ。
だから大学時代にもっと勉強しておけばよかったと思うし、社会人になってからももっと学校へ行けばよかった。
だから今も行ってるけど…。
勉強するなら若い方がいい、30代までならまだ間に合う。35を超えると記憶力が落ちてくる、というか面倒くさくなる。結婚も本当に幸せになれる人と結ばれたくなる。
死生観のある人と…。
今も昔も。
米津玄師という歌手がいる。デビュー前にはWebサイトのFlashアニメーションに影響を受けたという。ネットは悪い、ネットは子供に悪影響を与えるからダメだという話もよく聞くが、本当にそうなのだろうか。
ネットをどう使うかを教えるのが親の役目だとも言える。自分の子供の頃はネットはなかったが親が「ファミコンはゲームしかできないやろ、パソコンを買ったる」と言われて小学生の俺にMSXを買ってくれた。
小学生の俺にMSXはかなり衝撃的だったが、とりあえずパソコンが何なのか、何ができるのかは考えずに自分でビデオケーブルから接続することを学んだ。ゲームはROMカセットやテープ(データレコーダ)からデータを再生すればできたが、あの頃は「なぜゲームができるのだろう」という疑問には至らなかった。
至らなかったが、手を動かして覚えるしかなかった。テープも音楽テープが使えることも、その音楽テープにパソコンのデータが記録できることも知った。今なんてUSBメモリでやり取りするか、メモリさえ介さずにネット経由でデータのやり取りができる。音楽データも映像も。
しかし、なぜそうできるのかを皆はあまり知らない。そこをなぜできるのかを知ることこそがクリエイターの一歩ではないかと思う。画像ファイルがどうしてできているのか。なぜMP3があるのか、MP3とWAVファイルがどう違うのか。AACファイルとの違いは。音源はPCMやらPSGの何が違うのか。MIDI、FM音源とは。ボカロはどうやって生まれたのか。
全てコロンブスの卵ではあるけれど、なぜと考えることが次のコロンブスの卵になるのかもしれないのだ。
仕事開始。
昨日から仕事始めとなった。最初は時給職員かーと思っていたが、意外と待遇が良い。
美術館直接雇用だとこんなにも待遇が良いんかとは思うけど、所詮、5年勤務で賞与なし。まぁ、仕方ないかとは思うけど。少しだけ色々と働いてみようと思う。
全国の系列美術館の常設展が職員証で入り放題なのでラッキー。
仕事が決まったものの。
今日、面接へ行ったらそのあとに急に採用になった。
国立系美術館での研究技術補佐員。もちろんこういう場合は有期契約雇用なので薄給ではあるものの、今、勉強していることと繋がりをもつ。それに作品も作りやすくなるし将来的な安定は望めないが経験としては面白いだろう。雇用は基本的に来年3月まで。しかしその後は更新されるかどうかわからない。
もちろん、正社員は良いが変な責任感を与えられて仕事をするよりも今は良いので、とりあえずしがみついておく。もちろん正社員時代よりも給料はぐん下がる。年収で言えば約400万円も下がることになる。しかし、その代わりに自分が好きな仕事で責任のない現場で働くことができるのだ。
お金か自由か。人生を楽しむか。
卒業制作のテーマ
卒業制作のテーマが少しずつ固まりつつあるが、未だにぼんやりとしたままだ。
テーマは価値、価値観。
自分の住んでいた街は山を隔てて片方はかつて部落地区と呼ばれた地域。その片方では他の街から来た裕福層が住む変わった街だ。
その街を架空の街と見立てて二つの価値観の違いを写真に収める。そこに一つの都市に二つの価値観は建物や風景によって現れてくる。
参考にしたのはニュートポグラフィックスで捉えたルイスボルツをまずはテーマとして選んだ。ルイスボルツは、まだこれから拓けていく予定の土地を冷静に写していったが‥
まとまらないままだ。