段々と。
段々と鬱になってくる自分がいる。GW前に会社へ退職願を提出し、受理された。ということは、いよいよ退職秒読み段階に来たわけだ。こうなってくると色々と気持ちが入り混じり始める。ここで色々とまとめてみようと思う。
なぜ、退職したのか。
- 会社の人間関係から来るストレスに耐えられなくなった。
- 仕事内容に興味が持てなかった(贅沢)。
- 大企業病ともとれる会社内のセクション体制のストレスが耐えられなくなった。
- 上司が社内体制に対して改善を行う努力がない。
周囲のせいにばかりするわけにもいかないので、勿論、自分のコミュニケーション不足もあったことも理解できる。会社内は体育会系が多く、自分の様な文系は殆どおらずコミュニケーションを図るには何かスポーツで秀でたものがなければならない。その点においては自分に非があったことを認めなければならない。それでも福利厚生は良かった。
- 土日祝日は休み。
- 年間10日間の連続有給休暇取得
- ボーナスは冬夏有り。
- 残業は毎月20時間弱。
- 家賃補助は家賃の8割を負担。
ここだけはホント、ホワイト企業なのである。ホワイトなのは理解できるが・・・もう耐えきれない。自分は弱い。ひたすらに弱い。しかも、仕事になると人とコミュニケーションを取ることが難しくなることをここで初めて知った。それらの好条件を捨ててでもあの仕事場に要られなくなってしまったことは確かだ。おかげで貯金は数年は働かなくても質素な生活を送れば暮らせるくらいには貯めることができたが老後はないだろう。
今後のあり方
退職後のことを考え始めるが、もう次は企業で働くかどうかを決めかねている。会社以外で働くとなると結局のところ独立するしかないが、独立をするにも先立つ能力もないし、スキルもない。とりあえず卒業制作へ進んでいくしかないが、ここへ来て生活の不安に襲われてしまうことも。暫くはゆっくりとするつもりだったが「自分の年齢」「自分ができること」を考えて行くと不安ばかりになる。先立つものがなければ不安だらけなのだ。また会社に入って仕事をする・・・自分より年齢が下の部下に指示されながら働くことを考えた時、自分のプライドがどうなるのか。考えただけでも怖かった。
死ぬという選択肢。
育てる子供もいない、今後生きて行く楽しみもない。お金もない。誰のために生きるわけでもないと考えると後は死ぬだけになる。死ぬ事は簡単だが、死ぬまでの覚悟はなかなか決断できるものではない。死にたいが、死にたくない。中途半端な感情のまま毎日が過ぎて行く。「死ぬ」ということを考えれば無茶なことだってできるはずだ。それはそう思う。自分の人生も後20数年程度になった。そうなるともうやぶれかぶれで好きなことだけして暮らすという事も可能だ。死んで花見が咲くものかとは言うけれども。
会社を辞めよう。
7年勤続し続けた会社を辞めることにした。退職理由としては仕事は別に嫌でもなく辛いわけでもない。人間関係の悪化である。
詳細は割愛するが、同じ部内に僕のことを嫌悪に思っている人がいて、その人の鬱積がメールを通じて投げかけられてくるようになったからだ。
その辺は薄々感じており、ここ半年くらいで顕著にエスカレートしていた。
年末くらいまでは耐えられるかなぁとタカを括っていたが自分としては職場にいられない状況であり、これ以上の在席は精神的に耐えがたいレベルまできた。
その原因や要因が自分にも多少は起因するところもあれば周囲の影響もあるのかも知れない。ただ、あの会社で何が歯車が狂い始めていることは確かだろう。転職経験の多い僕がいうのだから嘘ではない。
上が下の状況を見ようとも改善しようとも考えない。全てを闇に葬ろうとする大企業病が出始めている。決して仕事が辛いことはなかった、これが故に惜しい部分でもある。
次に何をするのか決まってはいないがとりあえずフラフラと考えてみるのが一番かと思うが、家賃が高いので安いマンションへの転居を考えねばならないことは確かだろう。
京都グラフィー ポートフォリオレビュー落選
今年は昨年にも増して参加人数が多かったようで、審査に落ちてしまった。出したデータがあれでこれだから仕方ないとは思うのだが・・
しかも今年のレビュアーは豪華だったし、残念。
来年はきちっとまとめて参加してみるとするか。
何がダメダメだったのかは理解できる気もする、写真をセレクトする暇もなかったし、年々だがレベルも上がっていることだろう。